富山県パーキンソン病友の会

(全国パーキンソン病友の会富山県支部)


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「10年のあゆみ」
富山県パーキンソン病友の会より
目次
発刊 にあたって 病いが過去のものになる日まで 会長 尾山 充
寄稿
富山県厚生部長 飯田久範
富山県神経内科医会会長 広小路神経内科クリニック院長 高堂 松平
富山大学附属病院神経内科准教授 高嶋修太郎
富山県高志リハビリテーション病院 副院長(神経内科) 井上雄吉
黑部市民病院神経内科医長 新井 裕
富山大学附属病院脳神経外科 旭 雄士
荒川内科クリニック院長 荒川 志朗
地域リハビリ支援室・タムラ代表 田村 茂
ものがたり診療所所長 佐藤 伸彦
富山大学人文学部准教授 伊藤智樹
富山県難病相談、支援センター主任相談支援員 井澤朋子
日本イーライリリー(株)筋骨格事業本部
西日本営業部 鹿児島分室 河口 泰広
初代会長 田子 治氏との会談から 木島 律子
友の会相談役・畠リハビリジム代表  畠熟児
前事務局長 中川 みさこ
元副会長 古川 久信
ボランティア 山本 一彦
ボランティア 酒井
ボランティア 福光

歷史編…

座談会……

富山県パーキンソン病友の会誕生とあゆみ
富山県支部
「富山県にパーキンソン病友の会を!」と声を上げ たのは、実父がパーキンソン病でその介護をする中 川みさこさん、平成4年秋であった。初冬のみぞれまじりの寒い夜、県民会館の一室に は県内の主だった神経内科医が居並び、意を同じく した患者や家族介護者の有志とともに、設立準備委 員会が立ち上がった。年末の12月7日には県立中 央病院でパーキンソン病の医療講演が開催された。 100人で満員の会場には、なんと200人近く押し寄せ、廊下にあふれ、受付もできないままに帰る人 までが続出した。あのときの熱気は、我々患者会仲 間はもちろんのこと、ご尽力くださったドクターた ちの間でも語り草となっている。平成 15年4月 20 日、設立総会を開催。全国本部からは現会長の斉藤 博氏(当時は副会長)と事務局の関根征一氏にかけ つけていただきお言葉を賜っている。設立の準備に も多大な支援を受けたと聞いているが、発足はあく までも「富山県パーキンソン病友の会」であった。 初代会長は、患者の田子治氏、事務局長は、驚くほどのバイタリティで短期にここまで引っ張ってき た中川みさこ氏(父親が患者)、そのほか13名の役 員での船出である。2年後の平成17年、会長は畠勲 児氏となる。その後、畠氏は自宅を開放してパーキ ンソン病患者のためのリハビリジムを始める。増える参加者のために改装に改装を重ね、現在は25名がQOL向上のためリハビリにいそしんでいる。全国からは、支部となるお誘いが折に触れてあったよ うであるが、遅々として進まないままに、平成18年11月
医療費公費負担を全国友の会として取り組み我々も署名運動に加わり、全国組織に連なって署名 簿提出。12月には公費負担継続が発表されるという 快挙ともいえる組織行動であった。翌春も請願署名 が引き続き行われ、組織の力、数の力を痛切に感じ、 翌平成20年に全国に加盟した。さらに平成21年には富山で 第33回全国総会・大会が開催され、名実ともに富山 支部が全国に認められた。今年は会長3代目に尾山 充氏が就任し、事務局長も木島律子が引き継いだ。 来年は第10回記念総会となる。にぎやかで楽しく中身の濃い記念大会にしようと、あれこれ計画を練っ ている。医療講演はもちろんのこと、ドーパミンを たくさん放出してもらうためにプロの落語家を招き、 会場も贅沢にホテルを使用して、病の辛さ、介護の 疲れを忘れるひとみ 疲れを忘れるひと時にして欲しいと欲張っているし、10年の足跡を残さんと記念誌の編纂にも取り組 み たく、富山県支部としての思いは増すばかりである。

PD会報2-1
会長あいさつ
高岡市 田子治
会報第二号が発送されるころ、夏の日差しが大分強くなっ て いると思いますが、皆さんいかがおすごしでしょうか?早いもので会の設立から三ヶ月経ちました。その間、金沢 での全国パーキンソン病友の会の全国大会や交流会、また、 県内各地でのミニ交流会など、色々ありました。全国大会で は参加資格がない富山県友の会から多数参加しました。特に 交流会では全国からの患者・家族が集い和やかに進行してい き、参加者の皆さんが上機嫌になっていくのがわかり、自分 自身も大変嬉しくなってきました。大変有意義だったと思い ます。翌日、各分科会があり、支部長会議、介護者、リハビ リ、若年性部会と分かれ、自分はオブザーバーとして支部長 会議に出席させてもらいました。また、私たちの友の会の設 立大会当日はあいにくの雨でしたが、想像以上の人々に集ま っていただき大成功だったと思います。これも、皆様のおか げだと思い、大変感謝しているしだいで、大変ありがたく思 っております。最近の自分ですが相も変わらず散歩に、精神障害者の共同 作業所のボランティア、厚生センターの手伝いに、忙しく過 こしております。特に作業所の指導員の方たちには、大変お 世話になっております。この仕事に就いてから忙しく生きがいに感じてます。皆様もかつての自分の様に落ち込まず、 何か生きがいを持って明るく楽しく生きてください。微力な がらお手伝いすることがあれば連絡してください。各地で開 く交流会で、参加者の帰る時の笑顔が自分にとって生きがい でもあり、ものすごく嬉しいものであります。第二回会報(今号から「通信」となりました)の刊行にあ たり、自分なりの所見を述べさせていただきました。こうし とどきました。こう て原稿を書かせてもらっているうちだんだんと手の動きが 早くなってきました。何事も訓練だと思います。パラの美しい花が終わり、立葵の赤やピンクの色がとても 綺麗です。花の名前もあまり知らない自分ですが、見るのは 大好きで花を見ていると心が和んできます。
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富山県パーキンソン病友の会設立大会(4月20日)
小雨降る中多くの参加者の拍手で、 友の会を設立することができました。本当にありがとうございます。当日はボランティアや役員を含めて170余名の来 場者がありました。また、衆議院議員で、厚生労働委員会筆 頭理事を勤められている長勢甚遠先生をはじめ、支援してく ださっている来賓の方々から、祝辞をいただき、改めてこの 会の設立が社会的にも求められ認められていると言うこと を実感いたしました。また、休憩をはさみ、女声合唱団「こーろ・リベル」の皆 ―様方に懐かしい童話のメドレーを歌っていただきました。そ載せましたのでご一読ください。 の美しい調べに会場の皆さんが口ずさんでいらっしゃる様 子が、この日を境に暗い患者像を捨て、新たな療養生活への 姿勢がうかがわれていたように思われました。第二部後半は理学療法士の田村茂先生の講演「家庭ででき ~る運動」でした。この講演は、壇上をおりて、マットを敷き、 実際に患者さんに前に出ていただいて、患者さんの動きにく い体を使って田村先生が丁寧に必要な筋肉の動きを説明し てくださったり、日常生活での、無理のない運動やリハビリ の大切さをお話していただきました。会場の皆さんをはじめ、来賓の方々、顧問の先生方も、身 を乗り出してマットの上の患者さんの体の動き方を真剣な まなざしで見ておられました。また、高岡の会員さんに自分 の体に合った自作の杖を披露していただいたりと和やかで、 実際の生活に役に立つ講演でした。最後に準備委員会の頃から御支援いただき友の会の顧問になってくださった井上雄吉先生から、あたたかいお言葉を いただき開会いたしました。今後はパーキンソン病も含め た神経難病全般を考え支援できるように頑張っていきたい と思います。お手伝いいただいたボランティアの皆さんにはこの場を借りて深くお礼申し上げます。ありがとうございました。 
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パーキンソン病療養生活体験記
稲垣 稔
私がパーキンソン病を発病してから15年になります。その 開の療養生活について体験を述べさせていただきます。 
1、パーキンソン病と診断される
私の年令は昭和7年生まれの71才になります。パーキンソ ン病の症状が現れたのは昭和33年春頃でした。最初は右手に “震え”を感じました。そのうちに治っていくだろうと思っ ていましたが、震えはなかなか止まりませんでした。昭 和63年9月厚生連滑川病院神経内科を受診してパーキンソ ※ン病と診断されました。私は、その時までパーキンソン病の知識は全然なく、先生 よりパーキンソン病について説明を聞いて、これは大変な病 気だなと思いました。説明によれば、パーキンソン病の起こ ※る原因は、まだよくわかっていませんが、脳の黒質という部 が、脳の黒質という部 分から分泌されるドーパミンが減少することによって起こり、治療の基本はドーパミンを補う薬物療法になります。し かし、治療薬は、根本的に病気を治す薬ではないので、生涯 薬を飲み続けなければならず、病気と上手に付き合っていくことが非常に大切なことです。
2、治療薬と症状
バーキンソン病と診断され、薬物療法によって治療を始めました。主治医より薬を処方され、指示に従い服用しました。 処方は薬の量をだんだん増やし効果の現われるのを調べる ためです。それは薬の効き方と副作用の出方にかなり個人差 があるため、決まった治療方針が確立されていません。同じ 薬を飲んでも、その効果と副作用は患者一人ひとり違います し、薬の量についても、少ない量を長い間維持できる患者も いれば、だんだん量が増えていく患者もいるので、一定時間 治療をしないと薬の効果が予測できないためです。私は当時、会社に勤めていました。右手の震えはだ んだん激しくなりましたが、仕事には支障になりませんでし た。しかし、発症から4年位を経過した頃より震えが目 立ち、人の目が気になりました。平成8年1月に会社を退職しました。退職して間もない3 月、消化管出血による貧血を発症し厚生連滑川病院内科に入 院しました。検査の結果、出血原因は胃潰瘍と診断されまし た。胃潰瘍と診断されましたが、自覚症状はなく、治療薬を 服用して、食事に気をつけていましたが、胃潰瘍はなかなか 完治しませんでした。その後、平成11年3月に再び出血しま した。胃潰瘍は現在に至っても治癒しないのでパーキンソン 病治療薬の副作用によるものと思われます。
3、パーキンソン病の外科療法
平成8年6月主治医より話があって「薬物療法による治療 で改善がみられないときとして、外科療法が取り入れら れることがあります。県内では富山医科薬科大学附属病院脳神経外科で手術を実施しているので、「外科療法を考えてみたらどうか」とのことでありました。外科療法は、薬物療法を長期間続けるうちに、薬の効果が 続く時間が短くなったり、また、手足が意に反 して動く薬剤誘発性不随意運動が現れたりすることがあり、このため、薬物療法と補い合う治療法として、外科療法があります。特に60年代から外科手術の効果が見直されてきました。私は考えた末、手術を受けることにしました。受ける手術は「定位脳手術」と呼ばれる手術で、右手の震え”を改善 、脳の左側の視床といわれるところに電流を通し、 細胞を凝固・死滅させる方法です。手術は11月に行い、入院は25日間要しました。手術後の経過は調調に進み右手の震え”は全くなくなりました。その 住まで7年近く経過しますが、“震え”は起こらなく した。
4、手術後の症状と運動療法
手術によって震え”は改善されました。しかし、手術後 うな症状が現れました。
①、左の足や手に震え”が時々おきます。
②、睡眠中に背中や腰が痛んで目が覚め眠れなくなります。 また、下半身の筋肉がこわばり、膝の関節の曲げ伸ば しがしにくくなります。
③、動作を開始するまでに時間がかかり、動作全体も遅くなります。
④、腸管の動きが悪く便秘が続きます。
⑤、手の指先の動きが鈍く、指に力が入りません。
⑥、寝返りやベッドからの起き上がりがしにくい。 
⑦、口の動きがおそく、声が小さくかすれます。
⑧、椅子からなかなか立ち上がれません。
⑨、歩行時、右足のつま先が地面を蹴ることがあります。また、腕の振りが小さくなります。
10、頭が重く痛い感じがします。
11、体が前かがみになり膝を曲げるようになります。
12、2体のバランスがとりにくくなります。
 以上のような症状が現れました。
パーキンソン病の治療の基本は薬物療法ですが、運動療法を 併用することで、より大きな効果が期待できるのでこれを行 っています。
運動療法は、基本的な動作の練習や体操・軽いスポーツな ど何時も体を動かす工夫をして、筋力や体力の低下を防ぐよ うにすれば、寝返りや立ち上がり、歩行といった動作を何時 までも維持できるようになります。調子の良いときに、自分 のペースで体を動かし、そして継続するようにします。
私は、手術前には日課とした運動は特にありませんでした が、退院後、運動療法の効果を知ってからは、毎朝食事前に体操と散歩を日課にして、朝のこわばった体を柔らかくほぐ しています。歩く際には歩幅を大きくして、足を高く上げ、腕の振りを大きくするよう心掛けて歩いています。4年前に家の近くの空地を借り、畑を耕し家庭菜園とし、野菜の収穫を楽しんでいます。パーキンソン病は、体の動き が少なくなる病気といえます。それだけに毎日できるだけ体 を動かす機会をつくって、意識して活動的な生活を送ること が、この病気を克服する上で大切なことです。
5、明るく生き生きと生きるために
パーキンソン病患者は病気に負けず、毎日を明るく生き生 きと生きるという心の持ち方が大切なことです。 できるだけ人に頼らないで生活ができるように、いろいろ な工夫が必要です。生活の中でいろいろな工夫をすると、人 に頼らずに生活ができるようになって、生きる自信がわいてきます。病気や日常生活の中で生ずる不安や悩みのため、気持ちが落ち込むことがありますが、家の中に閉じこもって一人でく よくよ悩まずに、家族や周囲の人、また、パーキンソン病友 の会など、できるだけ多くの人と話し合うことで、気持ちの 落ち込みを解消することができます。 趣味や自分の好きなことをやって毎日を楽しく過ごします。いろいろなことに挑戦するという前向きな姿勢で生活す ると、充実した毎日を過ごすことができます。 パーキンソン病患者は、難病だということに負けないで。適切な治療に取り組んでいけば明るく生き生きと生きることができるでしょう。

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