富山県パーキンソン病友の会

(全国パーキンソン病友の会富山県支部)

2024年02月

PD会報2-1
会長あいさつ
高岡市 田子治
会報第二号が発送されるころ、夏の日差しが大分強くなっ て いると思いますが、皆さんいかがおすごしでしょうか?早いもので会の設立から三ヶ月経ちました。その間、金沢 での全国パーキンソン病友の会の全国大会や交流会、また、 県内各地でのミニ交流会など、色々ありました。全国大会で は参加資格がない富山県友の会から多数参加しました。特に 交流会では全国からの患者・家族が集い和やかに進行してい き、参加者の皆さんが上機嫌になっていくのがわかり、自分 自身も大変嬉しくなってきました。大変有意義だったと思い ます。翌日、各分科会があり、支部長会議、介護者、リハビ リ、若年性部会と分かれ、自分はオブザーバーとして支部長 会議に出席させてもらいました。また、私たちの友の会の設 立大会当日はあいにくの雨でしたが、想像以上の人々に集ま っていただき大成功だったと思います。これも、皆様のおか げだと思い、大変感謝しているしだいで、大変ありがたく思 っております。最近の自分ですが相も変わらず散歩に、精神障害者の共同 作業所のボランティア、厚生センターの手伝いに、忙しく過 こしております。特に作業所の指導員の方たちには、大変お 世話になっております。この仕事に就いてから忙しく生きがいに感じてます。皆様もかつての自分の様に落ち込まず、 何か生きがいを持って明るく楽しく生きてください。微力な がらお手伝いすることがあれば連絡してください。各地で開 く交流会で、参加者の帰る時の笑顔が自分にとって生きがい でもあり、ものすごく嬉しいものであります。第二回会報(今号から「通信」となりました)の刊行にあ たり、自分なりの所見を述べさせていただきました。こうし とどきました。こう て原稿を書かせてもらっているうちだんだんと手の動きが 早くなってきました。何事も訓練だと思います。パラの美しい花が終わり、立葵の赤やピンクの色がとても 綺麗です。花の名前もあまり知らない自分ですが、見るのは 大好きで花を見ていると心が和んできます。
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富山県パーキンソン病友の会設立大会(4月20日)
小雨降る中多くの参加者の拍手で、 友の会を設立することができました。本当にありがとうございます。当日はボランティアや役員を含めて170余名の来 場者がありました。また、衆議院議員で、厚生労働委員会筆 頭理事を勤められている長勢甚遠先生をはじめ、支援してく ださっている来賓の方々から、祝辞をいただき、改めてこの 会の設立が社会的にも求められ認められていると言うこと を実感いたしました。また、休憩をはさみ、女声合唱団「こーろ・リベル」の皆 ―様方に懐かしい童話のメドレーを歌っていただきました。そ載せましたのでご一読ください。 の美しい調べに会場の皆さんが口ずさんでいらっしゃる様 子が、この日を境に暗い患者像を捨て、新たな療養生活への 姿勢がうかがわれていたように思われました。第二部後半は理学療法士の田村茂先生の講演「家庭ででき ~る運動」でした。この講演は、壇上をおりて、マットを敷き、 実際に患者さんに前に出ていただいて、患者さんの動きにく い体を使って田村先生が丁寧に必要な筋肉の動きを説明し てくださったり、日常生活での、無理のない運動やリハビリ の大切さをお話していただきました。会場の皆さんをはじめ、来賓の方々、顧問の先生方も、身 を乗り出してマットの上の患者さんの体の動き方を真剣な まなざしで見ておられました。また、高岡の会員さんに自分 の体に合った自作の杖を披露していただいたりと和やかで、 実際の生活に役に立つ講演でした。最後に準備委員会の頃から御支援いただき友の会の顧問になってくださった井上雄吉先生から、あたたかいお言葉を いただき開会いたしました。今後はパーキンソン病も含め た神経難病全般を考え支援できるように頑張っていきたい と思います。お手伝いいただいたボランティアの皆さんにはこの場を借りて深くお礼申し上げます。ありがとうございました。 
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パーキンソン病療養生活体験記
稲垣 稔
私がパーキンソン病を発病してから15年になります。その 開の療養生活について体験を述べさせていただきます。 
1、パーキンソン病と診断される
私の年令は昭和7年生まれの71才になります。パーキンソ ン病の症状が現れたのは昭和33年春頃でした。最初は右手に “震え”を感じました。そのうちに治っていくだろうと思っ ていましたが、震えはなかなか止まりませんでした。昭 和63年9月厚生連滑川病院神経内科を受診してパーキンソ ※ン病と診断されました。私は、その時までパーキンソン病の知識は全然なく、先生 よりパーキンソン病について説明を聞いて、これは大変な病 気だなと思いました。説明によれば、パーキンソン病の起こ ※る原因は、まだよくわかっていませんが、脳の黒質という部 が、脳の黒質という部 分から分泌されるドーパミンが減少することによって起こり、治療の基本はドーパミンを補う薬物療法になります。し かし、治療薬は、根本的に病気を治す薬ではないので、生涯 薬を飲み続けなければならず、病気と上手に付き合っていくことが非常に大切なことです。
2、治療薬と症状
バーキンソン病と診断され、薬物療法によって治療を始めました。主治医より薬を処方され、指示に従い服用しました。 処方は薬の量をだんだん増やし効果の現われるのを調べる ためです。それは薬の効き方と副作用の出方にかなり個人差 があるため、決まった治療方針が確立されていません。同じ 薬を飲んでも、その効果と副作用は患者一人ひとり違います し、薬の量についても、少ない量を長い間維持できる患者も いれば、だんだん量が増えていく患者もいるので、一定時間 治療をしないと薬の効果が予測できないためです。私は当時、会社に勤めていました。右手の震えはだ んだん激しくなりましたが、仕事には支障になりませんでし た。しかし、発症から4年位を経過した頃より震えが目 立ち、人の目が気になりました。平成8年1月に会社を退職しました。退職して間もない3 月、消化管出血による貧血を発症し厚生連滑川病院内科に入 院しました。検査の結果、出血原因は胃潰瘍と診断されまし た。胃潰瘍と診断されましたが、自覚症状はなく、治療薬を 服用して、食事に気をつけていましたが、胃潰瘍はなかなか 完治しませんでした。その後、平成11年3月に再び出血しま した。胃潰瘍は現在に至っても治癒しないのでパーキンソン 病治療薬の副作用によるものと思われます。
3、パーキンソン病の外科療法
平成8年6月主治医より話があって「薬物療法による治療 で改善がみられないときとして、外科療法が取り入れら れることがあります。県内では富山医科薬科大学附属病院脳神経外科で手術を実施しているので、「外科療法を考えてみたらどうか」とのことでありました。外科療法は、薬物療法を長期間続けるうちに、薬の効果が 続く時間が短くなったり、また、手足が意に反 して動く薬剤誘発性不随意運動が現れたりすることがあり、このため、薬物療法と補い合う治療法として、外科療法があります。特に60年代から外科手術の効果が見直されてきました。私は考えた末、手術を受けることにしました。受ける手術は「定位脳手術」と呼ばれる手術で、右手の震え”を改善 、脳の左側の視床といわれるところに電流を通し、 細胞を凝固・死滅させる方法です。手術は11月に行い、入院は25日間要しました。手術後の経過は調調に進み右手の震え”は全くなくなりました。その 住まで7年近く経過しますが、“震え”は起こらなく した。
4、手術後の症状と運動療法
手術によって震え”は改善されました。しかし、手術後 うな症状が現れました。
①、左の足や手に震え”が時々おきます。
②、睡眠中に背中や腰が痛んで目が覚め眠れなくなります。 また、下半身の筋肉がこわばり、膝の関節の曲げ伸ば しがしにくくなります。
③、動作を開始するまでに時間がかかり、動作全体も遅くなります。
④、腸管の動きが悪く便秘が続きます。
⑤、手の指先の動きが鈍く、指に力が入りません。
⑥、寝返りやベッドからの起き上がりがしにくい。 
⑦、口の動きがおそく、声が小さくかすれます。
⑧、椅子からなかなか立ち上がれません。
⑨、歩行時、右足のつま先が地面を蹴ることがあります。また、腕の振りが小さくなります。
10、頭が重く痛い感じがします。
11、体が前かがみになり膝を曲げるようになります。
12、2体のバランスがとりにくくなります。
 以上のような症状が現れました。
パーキンソン病の治療の基本は薬物療法ですが、運動療法を 併用することで、より大きな効果が期待できるのでこれを行 っています。
運動療法は、基本的な動作の練習や体操・軽いスポーツな ど何時も体を動かす工夫をして、筋力や体力の低下を防ぐよ うにすれば、寝返りや立ち上がり、歩行といった動作を何時 までも維持できるようになります。調子の良いときに、自分 のペースで体を動かし、そして継続するようにします。
私は、手術前には日課とした運動は特にありませんでした が、退院後、運動療法の効果を知ってからは、毎朝食事前に体操と散歩を日課にして、朝のこわばった体を柔らかくほぐ しています。歩く際には歩幅を大きくして、足を高く上げ、腕の振りを大きくするよう心掛けて歩いています。4年前に家の近くの空地を借り、畑を耕し家庭菜園とし、野菜の収穫を楽しんでいます。パーキンソン病は、体の動き が少なくなる病気といえます。それだけに毎日できるだけ体 を動かす機会をつくって、意識して活動的な生活を送ること が、この病気を克服する上で大切なことです。
5、明るく生き生きと生きるために
パーキンソン病患者は病気に負けず、毎日を明るく生き生 きと生きるという心の持ち方が大切なことです。 できるだけ人に頼らないで生活ができるように、いろいろ な工夫が必要です。生活の中でいろいろな工夫をすると、人 に頼らずに生活ができるようになって、生きる自信がわいてきます。病気や日常生活の中で生ずる不安や悩みのため、気持ちが落ち込むことがありますが、家の中に閉じこもって一人でく よくよ悩まずに、家族や周囲の人、また、パーキンソン病友 の会など、できるだけ多くの人と話し合うことで、気持ちの 落ち込みを解消することができます。 趣味や自分の好きなことをやって毎日を楽しく過ごします。いろいろなことに挑戦するという前向きな姿勢で生活す ると、充実した毎日を過ごすことができます。 パーキンソン病患者は、難病だということに負けないで。適切な治療に取り組んでいけば明るく生き生きと生きることができるでしょう。

PD会報1-1

『創刊号』の発行にあたり一言
会長 田子 治
「富山県パーキンソン病友の 会」の第一回創刊に当り、一言ご挨拶もうし上げます。友の会 設立に当り事務局の中川みさこさん、吉沢幸子さんはじめ他の 役員、賛同して下さった県内の 医師や報道関係者の皆さんに心 より感謝申し上げます。今度新会長を拝命し、病気で苦しむ患者、家族の方たちに「風通し良く、オープンで、分かりやすく、決定は迅速に行えるように」頑張ろうと思います。 自分はパーキンソン病と脊髄小脳変性症という二つの神経難病を持っております。特定疾患に認定されたのは平成十三年一月だったと思います。それまでは仕事で国内外を問わず 社会の第一線で活躍してきました。又、遊ぶほうはスキーが 一級、ゴルフは一年半位でHC十五と抜群の運動神経を発 してきました。それが病気になって体が思うように動かなくなり、これで我が人生も終わりと思い凄く落ち込みうつ状態になり二回自殺を図りました。幸か不幸か二回とも助けられ、良くも悪くも家族の今までの接し方が変わってきた様に思います。でも病気のお陰で、凄く尊敬できる主治医の上田先生(高岡サティ内病院)やそのスタッフの方たち、親切な保健士さ んやボランティ尊敬アで行っている精神障害者の共同作業所の指事員の方たちやそこのメンバーの皆さんの温かい眼差しを受 けながら頑張っております。今まで仕事での付き合いそ仲良 くやってきた人たら、良くも悪くも半々になり、その分病気 になってから出会った人々の方が心を開きやすく、なお幸せ に思っております。女房の仕事であった炊事、洗濯、掃除な どを生きがいに励んでいます。また、この四月からこの会の発足に当りこれも頑張ろうと 思います。ここで神経難病患者やその家族の皆さん、今度の 会は「何をしてくれるのかな」とただ期待するのではなく、あなたも「自分に何ができるだろうか」とまず一歩踏み出し 参加してください。共に歩みましょう。皆、病気を持ってい る人たちばかりです。自分も患者の一人ですが、精神障害者 の共同作室所でメンバーや指導員の方たちと一緒に作業したり、自分の出来る範囲でなるべく健常者と肩を並べる様に頑張っています。この会の発足にあたり、全国のパーキン 病欠の会の活動や歴史など詳しいことは追々勉強していくつもりです。この病気を受け入れて優しさを全面にだして、皆様患者家族のために働きたいと思っております。これからも、よろしくお願いします。 
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パーキンソン病友の会の設立について
副会長 古川 久信
今年はまた、格別な寒く厳しい日々が続きましたが、ようやく梅 の便りも聞かれる今日この頃でございましょうか。 このたび、友の会設立について、同じ病気を持つ皆様方と友の話し 合い、情報の交換などをおこない、相互の認識することにより現在自分の病気の進行を理解することができ、自分より以上に重く、苦しい中でがんばっておられる方々が 県下にたくさんおられることもわかり、同病の皆様方と話し合うことによって、元気をいただいているような今日この頃でございます。実は、私も特定疾患に指定されております難病で、潰瘍性大腸炎を悪い十八年間治療をいたしておりまして、現在も四種類の薬を飲み続けております。その上、四年ほど前よりパーキンソンであると医師より診断され現在は、手の振戦、麻痺、固縮、筋肉の痛みと様々な で苦しんでいる毎日ですが、失望から毎日飲む四種類の薬も潰瘍性大腸炎 の薬と合わせますと、これでよいのだろう 「副作用」と、気になり不安の事も多い反面、自分より以上に病と戦っておられる方々の多いことを思い出してほ 我に返り頑張らなければと思う毎日で御座います。この、パーキンソンの病気のほうは、特定疾患の認定はありません。今しばらく様子を見ることにして、担当医の先生を信頼し て治療に専念したいと思っております。会員同士の情報交換 や、担当医の御指導に従って病気といかに仲良く付き合い、 来年の今頃に現在のような、状況でおられれば「よし」とし なければならないと思っております。「セルフメディケイション」つまり自分の病気は自分で 良くするという話の様に、頑張って参りたいと思っております。人生には、リハーサルは無いのだから、皆様方と共に、頑 張ろうではありませんか。尚、この会の立ち上がりに対し、日夜私情を捨てて努力を 頂きました方々に対し、心から感謝の意を表し、今後引き続 き活躍をお願いし御礼を申し上げるものでございます。
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「友の会の設立によせて」
砺波市 さかした医院 坂下 泰雄先生
 今年の2月初めに、富山県パーキンソン病友の会の世話人 のおひとりである中川みさこさんが、数人のパーキンソン病 患者さんを引き連れて当院を訪問されました。会設立が大詰 めを迎えている時期で、そのための儀礼的な訪問かなと思い ました。しかし、そうではありませんでした。初回の会報に 載せる文を書くようにといわれたのです。なぜ私が選ばれた のかたずねると、若手の医師から選んだといわれました。私 は若手ではないので当然固辞したかったのですが、中川さん からの依頼はいうなれば、命令です。若手としては服従以 外の道はなく、こうして書いているわけです。望んだわけでもないのにパーキンソン病とお付き合いする ことになってしまったみなさんは、病気について聞きたいこ とを、担当の医師にきちんと聞けているでしょうか。医療機関を受診すると、診察室に順番に呼び込まれて診察を受けます。診察室に入る前には、こんなことを聞いてみたい、あれ はどうすればいいのだろうかなどの多くの質問や疑問があっ ても、診察室に入ったとたんに言いそびれてしまう。たぶん ・そうでしょう。私だって、自分が病気になると、その専門の 医師に聞きたいことはたくさんあります。でも、言い出せないのです。医師が診察室で待ち、患者がそこへ入ってくる。この時点で医師が主で、患者が従の関係ができあがってしまいがちです。だから聞きにくいのです。では、どうすればいいのでしょうか。そうです。診察室を抜け出せばいいのです。抜け出すことによって、診察室を舞台にした主従関係は成り立たなくなります。さらに、患者が 一人より二人、二人より三人と集まれば集まるほど今までの 主従関係が壊れて、逆に患者側の立場が強くなります。昨年 末に県立中央病院に集まった患者とその家族、支えるボラン ティアのエネルギーを思い出してください。あの場には私を 含めて数名の医師がいました。そのみんなが、会場の熱気に圧倒されていたのです。 パーキンソン病は次々といい薬が開発され ています。薬を 正しく選択し、慎重に使えば長期にわたり症状が改善される ようになりました。しかし、残念ながら、いまだ根治する病 ではありません。歩きにくい、動きが遅い、手足がふるえるといった症状がなかなか完全にはなくなりません。パーキン ソン病について、皆さんが多くの知識を得ることができれば、 自分の悩みを正確に主治医に伝えることができます。また、 パーキンソン病患者を担当している医師は、その質問に的確 に答える義務があります。医師側もパーキンソン病を扱う神経内科の専門医として、自分の知識のレベルアップを常に求 められているのです。締めくくりに、「この会のますますのご発展を願っております」と書こうと思ったのですが、やめました。バーキンソ ン病に限らず、難病の友の会というものがあります。同じ病 に悩む方々が集まり、話し合い、助け合い、励ましあう会です。以前、ある先生はこのような会は圧力団体のようなものだといいました。圧力団体とは、穏やかではありません。で も、患者が集まり、疑問を解消し、知りたいことを知り、同病の人たちと語り合う。このような会があれば、自宅から。 あるいは診察室から飛び出す機会になるに違いありません。 そういった意味で「発展を願う」のではなくて、この会にか かわるすべてのメンバーで、触発しあい自らが発展していく そんな活動的な会を作っていきましょう。患者側も医療側も パーキンソン病患者がより快適にすごすことができるように はどうすればよいかを考えながら、互いに心地よい。圧力” を掛け合いましょう。みんなで、この富山県パーキンソン病 友の会を立派な圧力団体にしようではありませんか。
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「富山県パーキンソン病友の会」設立に寄せて
黒部市民病院 新井 裕一 先生
 富山県パーキンソン病友の会が設立されることを心よりお 祝い申し上げます。私自身準備委員のメンバーでありながら、 なかなか都合がつかずご協力できなかったことを深くお飩び 申し上げます。私が医師になって二十年余りがたちますが、この間医学の 進歩には目覚しいものがあり、それは神経内科領域でも同様 です。病気の原因にせまる研究や治療法の進歩など多くの成 果があります。卒業の時、同級生から「診断だけで治療のな い科を選ぶなんて」と言われたことがありますが、当時と比 べれば治療ひとつとっても格段の差があります。私自身、学生の頃は治療よりも神経診断学の面白さに魅せ られ、また長崎大学より赴任されたばかりの高守教授の人柄 にひかれ神経内科を選んだのですが、いざ入局してみると思 者さんは脊髄小脳変性症や筋萎縮性側索硬化症といった神経 難病の方が多く、診断がつくとそこから先は??といった状 態でした。そうした中で、パーキンソン病はある程度治療法 が確立されており、ドーパミンを主体とした治療(当時使用 できたのは、抗コリン薬、シンメトレル、ドーパミン製剤で ドーパミン受容体刺激薬としてはバーロデルのみ使用可能でした)を行うと症状が改善し、患者さんから感謝の言葉をい ただける数少ない病気でした。ただ当時すでにドーパミンの 長期投与による症状の日内変動や不随意運動といった問題は 存在し、そうした方の治療に頭を悩ませていたのも事実です。 今日では使用できる薬剤も増え、また先般日本神経学会か ら治療ガイドラインも公表され、以前より治療がしやすくな りましたが、個々の患者さんでは症状も異なり生活環境も違 うわけで、最終的には主治医が患者さんの状態をきちんと把 握して薬の調節をすることにかかると思います。そのために は主治医と患者さんとの密なコミュニケーションが大切です。 患者さんとのコミュニケーションということで思い出され る側があります。六十歳前後の女性の方でしたが、しばしば 予約日前に薬が足りなくなったといってご家族が外来に来ら れていました。その方が体調を崩されて脱水状態になり入院 することになりました。入院後カルテの処方どおりに薬を出 していたのですが、二日くらいすると四十度近い高熱が出て下がらなくなり、全身の筋肉が硬直したような状態になりま した。悪性症候群の症状でした。ご家族に聞くと、患者さん は社交的な方で外出する時には薬の効果がきれるといけない と思い、必ず普段より余計に薬を服用していたとのことでし た。ですから入院後薬の量が相対的に少なくなり、悪性症候 群を発症したわけです。幸い補液や薬の量の再調整によって 患者さんは快方に向かいましたが、患者さんとのコミュニケーションの大切さを教えられた出来事でした。最後に私にとって印象深い言葉をひとつ紹介したいと思い ます。学生時代、当時鹿児島大学第3内科の教授であった井形昭弘先生が特別講義にこられたことがありました。桜島を パックにしたスライドを示しながら「第3内科は3内と略されます。人は3ないと言っています。要するに神経内科の病 気はわからない、治らないというわけです。でももう一つのないはあきらめないだと思っています。」と言われたのが今で も心に残っています。これからもこの言葉を胸に、患者さんの助けになればと願 いながら診療を続けていきたいと思っています。今後、富山 黒パーキンソン病友の会がますます発展していかれることをお祈りしながら、拙文を終わりたいと思います。
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友の会に寄せる
黒部市 木島 律子
富山県に友の会を作りたいんです!電話の向こうの声は 力強く耳に飛び込んできました。熱っぽく語る中川さんに私 は手を合わせる思いでした。私の母の様子がおかしいと思ったのは1994年6月、肺 炎の父が数回目の危篤状態を繰り返している時です。まるで 中遊休をしているかのようなゆっくりでフワァーとした歩 き方に、私はこれから始まる道のりへの不安を漠然と感じて いました。父はその翌月に他界し、母は徐々に体の不調を訴 えるようになっていきます。左足の振戦、姿勢の保持ができない、振り向くとふらつく激しい動作も伴い、一日中つらいつらいとまるで何かに取り付かれでもしているかのような説明のつかない状態はうつ症状を引き起こして、友だちからも逃げ回るようになりました。 このときの、病名さえ判れば治療できるのに、と言う思い はやがて打ちのめされます。さまざまな検査のあとにもらっ たパーキンソン病という病名を受け入れるにはかなりの時間 が必要でした。難病としか知識がない私が調べた医学書には 10年ほどで死にいたると書いたものまでありました。よほど 古いものを見たのでしょうね。そんな時、モハメド・アリが アトランタオリンピックの聖火台に立ったのです。「パーキンソン病と戦う彼の姿は世界の病める人々に元気と勇気を与えた。」と言うアナウンサーの声。しかし、私には励まされる どころか、これほどの人でもなおすことができないのかと彼 の痛々しい姿に絶望したものです。知りうる情報はほとんど ありませんでした。しかし、1999年暮れに娘がパソコンを購入、インター ネットで友の会の存在を知り、大阪支部の近藤さんと連絡が とれました。 そのときの喜びは 言い表し ようがありません。症状の一つ一つ、日常の生活の具合、薬のこと、困っていることなど、 電話で堰を切ったようにあれこれ尋ねる私に近藤さんは一つ 一つ丁寧に答えてくださいました。そして近藤さんの大きな 励ましによって翌春、一番の懸案事項である娘の結婚式に母 が出席できたのです。手探りの間から抜け出た思いでした。 もちろん友の会大阪支部に入会、その年の新潟全国大会にも 出かけました。母以外にはじめて会うパーキンソン病の患者 さんたちは歩き方も震え方もそっくりそのまま、母だけじゃ ないこんなにたくさんの仲間が、分かり合える人たちがいる んだーと思ったらすうっと胸のつかえがとれました。患者さ ん、介護者はもちろんのこと、新潟に友の会を立ち上げるた めに汗を流した方ともお話しました。無理をしてでも母と一 緒に来るべきであったと悔やまれましたが、この日を境にパ ーキンソン病を前向きに見つめられるようになったのはおおきな収穫でした。患者の体験談としてお話なさった大塚さんにも感銘を受けました。会場で販売されていた関係図書も持たれるだけ買い込み、むさぼり読みました。難病の中では格段に、研究や薬の開発 が進んでいること、少数の人に罹患する特異な病ではすでに なくなっていることなど、いろいろなことが判ってきました。 友の会の会報も楽しみになりました。もう得体の知れない病 ではありません。母も私も外に向かって私は、「母は、パーキ ンソン病の患者です。」と、言えるようになりました。気持ち に受け入れるゆとりができたのです。母と同居するお嫁さんも病を理解するために大阪まで出か け友の会に出席してくれました。インターネットの掲示板も、「介護者としての私にたくさんの知恵や情報、励ましを与えて くれストレスを解消してくれる場所でした。そして、昨年の9月、なんと母は大阪友の会に出席できた のです。もちろん発利後も家族旅行やドライブで遠出するな ど出かけてはいるのですが、いつも心配が先にたって前日か ら体調をくずしてしまい、まわりじゅうが振り回されて、外 出は大変なことだったのです。ただ、それまで1日に10数回あった頻尿が半分ぐらいに軽 蔵されていたため、なんとかなると判断、どうしても同じ利 で頑張っている人たちに会わせたい一心で誘いました。母も行きたいといいます。大阪にも連絡しました。私の息 子が同行してくれると言います。決めてしまったら私のほう が心配になってきました。軽減されたとは言えON・OFFす。中川さんの熱意で産声をあげた富山県の友の会は私たち 仲間の場です。みんなですばらしい会に育てていきたいもの です。が激しくOFFになったらトイレは15分ほどしか持たない こともある。車ではトイレがままならない。列車ならいつで もできるが、すくみ足、固縮が始まったらどうやってあの狭い列車内で用足しができようか。当日の朝まで迷いあぐねた に息子の力強い言葉―「おれがおんぶでも抱っこでもして連れて行ってやる」―その一言でJRに飛び乗りました。結果としてそれがよかったのでしょう。母は実に快適に列車の旅を楽しんだのです。車椅子を使う時間も思ったよりも短く、母は孫の頼もしさに安心して体を預けられたようです。
そうして実現した友の会の出席は、母の心も強くしたようです。自分だけがつらいのではないことを実感した母はより積極的に体を動かすようになり、明るくなりました。友の 会効果はある程度予測できていたとはいえ、ほんとにうれしいものでした。今、自分たちの足元に友の会ができました。切望していた友の会です。母や私が救われたように、会の活動は県内の悩んでいる人たちの力となることでしょう。医学の進歩はそう遠くない日にパーキンソン病を確実に治る病にしてくれるはずです。それを応援する意味でも会の存在は必要でしょうし、関連する情報を提供することも可能です。
そして何より、現在この日を過ごす私たちが、自分を患者を介護者をいとおしめるように、パーキンソン病と上手に付 き合っていけるために、友の会の役割は重要であると思います。中川さんの熱意で産声をあげた富山県の友の会は私たち 仲間の場です。みんなですばらしい会に育てていきたいものです。

3月の『はるみの会』のご案内

日時:3月7日10時から11時30分
場所:黒部市役所2階市民交流サロン1


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パーキンちゃんは、今日も多忙 令和6年2日22日

あなたは、パーキンソン病と診断された時に何を思いましたか?
私は頭の中が真っ白になりました。
パーキンソン病と聞いたことはあるけども、実際どんな病気か全く分かりませんでした。
その日、待合室で精算を待っていると、隣の椅子に座った年配の女性が、ずーっと手を見つめているのです。どうしたんですか?って聞いたら、私パーキンソン病だって言われたんです。手が震えてるんです。とそうですか、私も震えてるんですよと2人で清算に呼ばれるまでずっと震える手を見ていたことが思い出されます。

どんな病気か分からない私は、漠然とした不安で、いっぱいになりました。
その時、病院に付き添ってきてくれた姑さんが、なるようにしかならんちゃ!と言ってくれました。
現実なんだ、私はパーキンソン病と診断されたと聞くことができました。
ました。

 患者は、好きで病気になった訳じゃない!と言いますが、家族だって好きで患者の家族になったわけではないのです。お互い歩みよっていかなければればならないと思います。



                                   つづく

2024-02-22 (3)


2月のはるみの会は
先にZOOMで習った体操を永山先生に送ってもらった資料を見ながら復習しました。
椅子に座って7ポーズ、マットに手をついて5ポーズ
説明を見て動きを確認し、皆で号令をかけながら動かしました。『
『これでいい ?』『できとるよ』
『凄い!身体柔らかいね』『腹筋にきく』『お臍を見るように』『頑張り過ぎは良くない』など互いに教え褒めながら和やかな時間でした。みんなですると楽しい、肩甲骨の周りを動かして気持ちいい、家でもコマーシャルの時にやれば良いなど『適度な運動』が気持ちいいと思えたようです。
資料を付けますので、皆さんもやってみて下さい
R6・2・1


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畠リハビリジム2月の予定

毎週月曜日・金曜日 9時~11時30分 リハビリ・ヨガ体操
(小林先生のヨガ教室は月曜日のみ) 

19日 (毎月第3月曜日) お茶会

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畠リハ
ビリジム1月の予定ですが
活動を1月16日より再開します。

毎週月曜日・金曜日 9時~11時30分 リハビリ・ヨガ体操
(小林先生のヨガ教室は月曜日のみ) 

毎月第3月曜日 お茶会

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畠リハビリジムのお知らせ 2022.10
畠リハ
ビリジム10月の予定ですが富山アラートも解除され、
新型コロナウイルスの感染者の数も減少傾向にあることから
活動を10月10日より再開します。

毎週月曜日・金曜日 9時~11時30分 リハビリ・ヨガ体操
(小林先生のヨガ教室は月曜日のみ) 

毎月第3月曜日 お茶会

皆さん、こんにちわ。富山アラートが解除されました。
まだ油断のできる状態ではありませんが、畠ジムの開催はどうでしょうか。
皆さんのご意見聞かせて下さい。
皆さん、お久しぶりです。何とか夏を乗り越えました。
アラートも解除されたことですし、ソロソロ体調に注意しながらジム
再開してもいいのではと思います。皆さんはどうでしょうか。
ジム再開されれば、とても嬉しいです。ボランティアの方々に、
お世話になるばっかりなのですが、早く皆さんの顔を見たいのと、
小林先生のヨガを受けたいと身体が、だんだん衰えていく感じがしています。
もう、そろそろかな?って思ってました。
早く皆さんに会いたいです❗😃
もう秋らしくすがすがしい気候になってきました。
みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。
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畠リハビリジムのお知らせ 2022.8
活動状況

新型コロナ感染防止のため7月22日より活動停止

7月に入ってから各地で感染者が急速に増加し、

新型コロナウイルス 流行「第7波」が本格化しつつあります。

ワクチン接種や検査、換気などの基本的対処に努める必要があります。

8月の予定ですが

新型コロナウイルスの拡大が 急激に

進んでるようです。

残念ですが 休んで様子を見ましょう。 

●これだけ増えたら休んだ方がいいと思います。残念ですが
●とっても、とっても残念ですが、

皆さんのいわれることは、もっともなので、

休むことは致し方ないと思います。

身体が、益々衰えて困っていますが、

少し事態が、落ち着くまで、待っています。

●主人とも話したんですが、

落ち着くまで休む方がいいのではと言っています。


よろしくお願いします。


畠リハビリジム Q&A  2022.3改 : 富山県パーキンソン病友の会 (parkinson-toyama.org)

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