例年以上に暑い夏7月今年もまた、京都大原記念病院に行きました今年で、4回目…
毎年大原へ行きたいと私が言うと、主人は帰ってきてからの様子をみても、大原で学んできたことを活かしてないのではないか?本来なら、帰って来てから指導されたことをきっちりしてれば、大原に、行く必要もないのではないか?そういうことで行く意味あるのかと…心当たりのある、私は下を向きながらできないから年に1度リセットしてくるんだもんと、今回も半ば強引に行くことを決めました!
本当は、今回とても不安でリセットどころではない。年齢のための老化か、病気の進行か、背中や腰の曲がり、筋力低下、体力低下を、ひしひしと感じ外出時の歩行器も手放せなくなってきていたからです。今の状況では悪くなる一方で良い方向になるのには無理だと思っていました。
不安通りに大原での初日の評価は最悪でした。今まで前年度を上回っていたものが今年は下回るものばかり…挙げ句の果てには息切れの酷さ!大丈夫かなぁ?28日で良くなるのかな?いくら単純な私でも、大原に来るだけで良くなるとは思っていませんが…頑張るしかない!と、心の中炎がぽっときました。
今回も私の極端なONOFFを考慮してくださりリハビリの時間を固定してくださいました。私のBIGを教えてもらうのが、N先生20代爽やかなPT今年BIG資格取ったばかりで、私が初担当になるそうで、やる気満々!
午前は8 時40分、高沢さん、今日も頑張りましょうとN先生が登場しBIGを始めます。大きな声で、前、下、上、開いて123…10言いながら体を大きく動かす…ダメだ。体幹がぶれて常にグラグラしている!動きも鏡で見ると小さい!息切れも何より身体が硬いBIGを終え、疲労困憊、残りの時間があるので病院の外周約800メートルのコースを歩く。最初は、BIGも時間がかかり歩くのもほんの何100メートル背中や腰がまがり、激しい息切れ!毎回根気よく背筋を伸ばして、大きく歩いてにこやかに指導、体中の水分がしぼりだされるくらいの汗が噴き出る。それでも、N先生の指導と大原の自然の景色豊かな外で歩くことはどんなに暑くても、私には楽しみでした。
午後は13時からY先生30代落ち着いたPT、クールな外見と裏腹にお子様大好きなパパ。Y先生は体全体のことを見てくれて、私に必要なトレーニングの説明を交えながらトレーニング、最初、私が自分の状態を目の当たりにして落ち込みそうになりましたが、上手に硬軟織り交ぜて指導してくださいました。
パーキンソン病患者特有の真面目で几帳面ではない私は、毎回プログラムに入り看護師の付添が入る。BIGの自主練を、こなせても普通の自主練は、なかなかできていませんでした。私の言動から察知され、自主トレ表を作って下さり、不都合な所は訂正するので感想聞かせてくださいと、そう言われれば、やらなきゃいけない…大原に来てもなかなか怠け心が抜けない私、感想を述べると、新しい資料を作って下さいました。そしてまた感想、そうしているうちに毎日自主トレをしていました。Y先生の手のひらで転がされたようです。自主トレの中身を後ページで紹介しています。なまくらな私でも出来る体操です。
今回は体の反応がとても遅く、体重も中々落ちず大丈夫かなーと思っていました。ここのリハビリを信頼しているので、焦りはありましたが不安はありませんでした。三週間目過ぎた辺りから身体が変わってくるのを感じました。四週間目に入ると体重も落ち、身体も確実に変わりました。但しまだ身体の不安要素がいっぱいです。前回までは、帰ってからの他の方達からの評価がものすごく気になったが、今回は自分がどうなのか?自分はどうしたいのか?初めて男性2人担当先生が千夏(おばちゃん)ファーストで指導してくださり病気だからといって私の行動を制限されることのないように配慮してくださった。自分のリハビリの為の28日間でした。
終わりも近づく頃他のベテランの先生が高沢さんは今やっと火がついた状態ここからぼーっと燃やしていかなきゃと励まされました。気付いたら毎日の自主練も続いていました。家から持参した折り紙画用紙はそのまま。テレビもみないでリハビリ、疲れてやすむ日々でした。
家に帰ってから朝起きて薬を飲んでONになってからNHKのテレビ体操をしてステッキで歩いています。そしてBIGを毎日続けているうちに、だんだんと背や腰が伸びてきてスティックで前から見たら軽快に歩けるようになりました。
継続は力なり
作り作り変え作る臨床美術の核になるコトバ
作り→ 大原でリハビリする
作りかえ→上手くのせられ自主練する私
作る→全体にレベルアップした私
精神的にも
作り→今回は連れがいなくても大原行きたい
作りかえ→自分のことだけに集中
作る→自分を大切にできるようになる。
私は今もON OFF に悩まされています。
OFF時は、身体も気持もとても辛くてたまりません
生活してゆく中で、OFF時の対処法という引き出しが増えています。今回の大原でも増えました。辛いとき引き出しを次から次へと開けて行きます。いつか完治という引き出しにたどり着きたい。
リハビリは噓をつきません
私は、このからだで生きていく。
ルーチンで行っているリハビリの一部です。
